主祭神
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
合殿神
豊受比売大神
(とようけひめのおおかみ)
大山津見神
(おおやまつみのかみ)
大国主命
(おおくにぬしのみこと)
火産霊神
(ほむすびのかみ)
武甕槌神
(たけみかづちのみこと)
天児屋根命
(あまつこやねのみこと)
経津主神
(ふつぬしのかみ)
比売神
(ひめがみ)
品陀和気命
(ほんだわけのみこと)
承久三年(一二二一)二月十一日、洪水や飢饉が相次ぎ、人々の暮らしが困難となる中、北金井・西方・大泉・東一色の一郷が協議し、五穀豊穣と一郷安全を祈願して、皇大神宮(伊勢の神宮 内宮)・豊受皇大神宮(伊勢の神宮 外宮)より御分霊を勧請し創祀された。
永禄年間(一五五八~一五七〇)、兵火により社殿をはじめ村内の多くの建物が焼失した。しかし、先人たちは戦火の中から「承久三年の棟札」を救い出して守り抜き、氏神様への信仰を絶やすことはなかった。その棟札は代々大切に受け継がれ、祭祀とともに世代を越えて伝えられた。
寛永八年(一六三一)、藩主交代の際の公式記録(差出帳)から神社の名が漏れ、公的には歴史の表舞台からその名が消え去るという苦難を迎える。社殿を失い、記録からも消された一三〇年間という空白の時の中にあっても、先人たちはこの神聖な社地を失わないために、この地を「山神社」として毎年二度の祭祀を執り行い、神域を厳かに守り続けた。
宝暦十一年(一七六一)、古文書や古老の伝承、棟札をもとに江戸幕府へ由緒を申し立てる。厳密な実地調査を経て古社として認められ、正式に社殿の再建が許された。こうして金井神社は氏神として見事に再興され、伊勢の神宮への代参も復活し、再び地域の信仰の中心として歩み始めた。
明治時代の合祀令により、金井神社・春日社・金巌社の三社が合祀され、今日に至るまで郷の氏神として多くの人々を見守り続けている。
合殿神の春日社は昔この地にあった永源寺の鎮守社であり、正応三年(一二九〇)、霊験があり祭日を八月十八日に定めたとされ、現在でも八月十五日の『中元祭』として斎行されている。
金巌社はこの地の地頭であった種村家の祈願社であり、元々は金巌という地にあったと言い伝えられている。
